ベートーヴェンの日記②

本日は、ベートーヴェンの日記第二弾です。


【生命と呼ばれるものいっさいは、至高なるもののために捧げられ、また芸術の聖所であらねばならない】


ベートーヴェンほど音楽に命を捧げた作曲家はいないでしょう。

ベートーヴェンが日記をつけるようになったのは1812年頃からですが、その10年前の1802年、31歳の頃にベートーヴェンは遺書を書いているのです。ベートーヴェンの耳が完全に聞こえなくなったのがいつ頃かは正確には分かっていないのですが、難聴の症状が出始めたのは1801年頃といわれています。それが作曲家にとってどれほど辛く苦しかったか、容易に想像することができます。

しかし、ベートーヴェンは生きてその命を音楽に捧げる選択をしました。

これ以降、ピアノソナタ「ワルトシュタイン」「熱情」、ピアノ協奏曲「皇帝」、交響曲「運命」「第九」といった傑作が次々と生み出されていきました。


ちなみに、二人の弟に宛てて書かれた遺書は、結局ポストには投函されず、ベートーヴェンの死後に机の引き出しから見つかります。


先の日記の文章には次の言葉が続きます。


【たとえ人工的な手段を用いてでも、それらが見出される限りは、私を生かしめたまえ!】