楽譜を見て感じるもの

少しずつ寒くなってきましたね。

以前のブログでもお話したように、9~10月は伴奏曲に追われています。


その中でもシュトラウスのヴァイオリンソナタがあり得ないくらいの激ムズさで、毎日ヒーヒー言っています。(いやもうあれピアノソナタですよ、笑)

なぜこんなに弾きにくいのかと考えてみると、もう音楽のことを考え過ぎてるんですよね。

え?いいじゃない!と思われるかもしれませんが、逆に言うと弾きやすさを無視してるとも言えるんですよ。

例えばあり得ない速さのパッセージ、テンポ的に絶対に間に合わない跳躍、パターンの不統一性などなど、、


そこで少し前の時代のショパンやリストの作品を考えると、作品の素晴らしさはもちろん、本当に弾き手のことまで考えられているんですよね〜。そこはやはり彼等がピアニストとしても大変素晴らしかったという背景があるのでしょう。


どっちがどうという話ではないのですが、楽譜を見ていると、音楽と弾きやすさのバランスなども考えながら、時に工夫し、時に妥協せず、作曲家はあれこれ考えながら作品を生み出しているんだなと感心します。


ちなみにちょうどロマン派の作曲家達が出ましたが、この時代で私が好きな作曲家は断然ブラームス。

ただ、このブラームスはどちらかというと頭に浮かんだ音楽を全てそのまま再現しようと楽譜にするタイプでして、めちゃくちゃ弾きにくいです。(分散和音の伴奏型とか特に、、)


まぁそこがまたいいんですけどね、、